IT技術関連のこと、読んだ本の紹介、実際に買って使ったオススメのガジェットなどなど、書いていきます。

2018/10/28

今週の読書紹介(2018/10/22~2018/10/28)『NETFLIXの最強人事戦略』『残業の9割はいらない』『スーパービジュアル再現 羽毛恐竜と巨大昆虫』『日本人の9割がやっている残念な習慣』『貨幣が語るローマ帝国史』


今週(2018/10/22~2018/10/28)からは次の 5 冊を紹介。


パティ・マッコード、櫻井祐子訳『NETFLIXの最強人事戦略 自由と責任の文化を築く』光文社、2018. ( amazonで見る )

最初に注意すべきはあくまで著者が 2012 年までの 14 年間を最高人事責任者として務めてきた元社員であって、現在はコンサルタントである、という点ですね。現役の NETFLIX 社員ではないので、今現在も同じ状況かどうかは定かではない、けれども恐らく現在もこれに近い企業文化であるのだろう、くらいの見方で読むべきです。

著者自身語っている通り、激しい変化についていくためには、どんな慣習や前例があったとしても、よりよい方法を模索して変わり続けていくべき、というわけですから、著者の在籍時代から何も変わっていないと考えるのは、この本を読んで何も受け取れていないということになってしまいます。

本書の要点は、目次を挙げればそれがそのままです。
  • 成功に貢献することが最大のモチベーション──従業員を大人として扱う
  • 従業員一人ひとりが事業を理解する──課題が何であるかをつねに伝える
  • 人はうそやごまかしを嫌う──徹底的に正直になる
  • 議論を活発にする──意見を育み、事実に基づいて議論を行う
  • 未来の理想の会社を今からつくり始める──徹底して未来に目を向ける
  • どの仕事にも優秀な人材を配置する──すべての職務に適材を
  • 会社にもたらす価値をもとに報酬を決める──報酬は主観的判断である
  • 円満な解雇の方法──必要な人事変更は迅速に──その会社で働いていたことを誇れるような組織にしよう
要点はたったこれだけなのですが、これを訴えるに足るバックグラウンドを、著者は熱い気持ちとともに語り続けます。はい、語りです。本書の内容的な要点は上記の通り、しかし真髄は、 NETFLIX をここまでの企業に成長させるに至った大きな立役者である著者の、全経営者に対する熱い想いの語りだと感じられました。

きっと、本書を読む人は何らか経営的/人事的興味関心を持っていることでしょう。実際に経営/人事の一役を担っている立場だったりするかもしれません。本書を読んで、 NETFLIX が採り入れている価値観と合う部分を見つけると安心するでしょうし、合わない部分を見つけると国や組織的規模感の違いから来るものだからウチでは難しいと思ったりもすることでしょう。まさに私。

ただ、本書の中から合う部分だけを見つけて安心するのをやめて、合わないと感じた部分を深掘りして、どうして合わないのか、ということの言語化を徹底的にしてみる方が生産的でしょうし、それこそ著者の訴えたかったことを実践してみたと言えそうです。少なくとも、私自身、抱えているチームについて向き合うべき姿勢を改めなおさないとならないと思いました。自由と責任ですね。



本間浩輔『残業の9割はいらない ヤフーが実践する幸せな働き方』光文社新書、2018. ( amazonで見る )

後書きでこの書名にした理由がつらつら書かれているのですが、それを読んだ上でやっぱりこのタイトルはよろしくないなあと思いました。代替案があるわけではないのですが、著者が一番主張したいのは結局「変化してゆく時代に応じて30年後を見据えた働き方をしよう」なので、それがもう少し伝わるようにしたら良かったのでは……。まあ実際、残業の9割は要らないとは思うわけですが。

NETFLIX 本を読んだ後では、かなりインパクトに欠けるのは確かですが、あちらが極北へと行ってしまっているので、こちらはもう少し現実的なところに寄り添っているというか、現実的過ぎて今の日本の惨状を嘆きたくもなってくるというか……。

どちらにも同じく言えることは、社員を大人扱いして、一対一でしっかり対話することが肝要、という点。ただし、 こちらは一般的な企業と同様に社内で人を育てることを是としているのに対して、 NETFLIX は社内で人を育てることはまず考えておらず、スキルの合う人を連れてくれば良いというのが基本方針なので、日本人の肌にはこちらの本の方が読んでいて合うような気はしました。

「三〇年後、あなたは何歳になっていますか? そのとき、どんな仕事をしていますか? 仕事をしているとしたら、どんな働き方をしていると思いますか?」 ( 本書 p.5 )

ということを考えるきっかけのための一冊になるのは、間違いないです。本書の中で語られているそれ以外のことは、上記を考えるためのヒントになりうるもの、という感じがしました。



マリー・ステルブ/ジャン=セバスティアン・ステイエ/ベルトラン・ロワイエ/エマ・ボー、福井県立大学恐竜学研究所監修『スーパービジュアル再現 羽毛恐竜と巨大昆虫 7つの謎で解き明かす太古の世界』日経ナショナルジオグラフィック社、2018. ( amazonで見る )

どうして恐竜とはかくもこう心をくすぐるものなのか。

恐竜は好きなので割と展覧会などには足を運んでる方なのですが、それでも自分の認識がまだ 10 年くらい前の恐竜研究感で止まってることに気づかされました。最近、中国でますます化石発掘が進んでいるのですね。

本書の構成としては、まず、恐竜時代に至るまでの爬虫類・両生類・巨大節足動物などを取り上げ、ペルム紀末期の大量絶滅を経てからいかにして恐竜が出現し始めるのか、というところから語り始められます。恐竜が現れてからは、その時代の哺乳類の紹介、そして、羽毛を持つ恐竜、加えて云うなら羽毛の生えたティラノサウルス類という、 19 世紀以来の恐竜観からは真っ向反対するものが取り上げられます。

話題は広がり、さらには、メラノソームという色素を保管した「袋」が化石中から発見されたことにより、完全に外見の色が確定された初めての恐竜であるアンキオルニス、そして未だ不確定ながら黒色が有力候補とされることになった始祖鳥へ。

またそれ以外にも、「未発見の恐竜はどれくらいいるのか?」「鳥類はどうして生き残れたのか?」という、言われてみれば気になる! という疑問も取り上げ答えくれています。

本書はフルカラーの大判書籍で、あまり文字読むのが得意でないなあ……、という人であっても、パラパラとページを捲るだけで、うおおー、とその手が止まらなくなること請け合いです。なお効果効用には個人差があります。


ホームライフ取材班編『日本人の9割がやっている残念な習慣』青春新書、2018. ( amazonで見る )

日本人のかなりの数の人がやっているであろう「損する! 危ない! 効果ナシ! の 130 項目」を厳選して、「違う、そうじゃない。こうやるのだ」を紹介してくれています。

色々な本を読んでいる手前、そこそこ雑学的にも知っていることがあったのですが、それでもやっぱりこれだけの数を前にすると、「何てこった、知らなかった……」というものも、結構出てきます。それらを例に挙げると……
  • 網戸は、右側に固定しておくべし。左側だと、窓の開閉時に隙間が出きて虫が侵入してきやすい
  • 冷凍食パンは解凍せずにそのまま焼くべし。外がカリカリ中がフワフワになる
  • 紙パック飲料で注ぎ口がついているものは、注ぎ口を下にせずに上にした状態で注ぐべし。容器内と空気の入れ替えがスムーズになる
中でも一番驚いたのが、
  • 手持ち花火の先端の紙びらは、ただの火薬蓋の先端で、導火線ではないので、ここに火を点けても無駄
というものでした。ずっと導火線としか思ってませんでした。あれはもはや導火線にしか見えないのでどう考えてもUIが悪い(責任転嫁)

本書を読んでみると目から鱗の連続になるかもしれません。



比佐篤『貨幣が語るローマ帝国史 権力と図像の千年』中公新書、2018. ( amazonで見る )

ローマ帝国の貨幣史、ではなくて、あくまでタイトル通りに貨幣-図像を通じて見るローマ史です。帝国史というよりは共和政ローマからしっかり見ているので、より正確には「貨幣が語るローマ史」でしょう。

ともすればニッチな内容で一部の読者層向けという感もありそうなテーマながら、一般向けにもたいへん読みやすく興味をそそられる良い構成になっていつつ、さらにはこれをきっかけにもっと深く研究に食指を伸ばしたくなるようなものに仕上がっていて、これは素晴らしいと唸らされます。

貨幣に描かれるものが、自然に対する畏敬から、先祖、そして現存する人物へと変遷してゆき、それはまさしく神格化というものに一致しうると言えるのではないかと。そして特定の人物が貨幣に具体的人物を描けと指示することについて、極言すると、貨幣に託すのは「承認欲求」ということになるでしょうか。承認してもらいたいものは、自己自身の地位の保全であったり、次の継承者に向けての地位の保全であったり、単なる自己承認の精神的充足であったり。最後のケースは割と稀で、もっと切実な理由が多そうです。

本書の射程は、ローマ史に留まらず、キリスト教がいかにしてローマ的精神(もっと広く言えば地中海世界的精神風土)の上に寄って成り立っていったのか、そしてそれを忘れ去らせようとしていったのか、ということにまで及びます。史料から歴史を語るとはこういうことだ、という良い例を示す名著です。

2018/10/21

今週の読書紹介(2018/10/15~2018/10/21)『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』『トリフィド時代』『実務でつかむ! ティール組織』『訪問看護事業 成功の条件』


かなり秋めいてきた今週(2018/10/15~2018/10/21)からは次の 4 冊を紹介。


川添愛『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』東京書籍、2018. ( amazonで見る )

「数字」という概念を認識せずにエジプト数字のみしか知らない存在に対して、「アラビア数字」の誕生から、二進法、数字による情報表現、電気信号への変換、プログラミングという概念……というように、根本のところから歴史的流れを踏まえてコンピュータが作られるまでが語られていく一冊。

構成組みが非常に秀逸で、東京書籍から出されているだけあって小学校の教科書に採用してくれないかなと思わされるようなものになっています。イラストによる分かりやすさ・親しみやすさもまた優れもの。

基本原理を知らなくったって、使えればいいじゃん、という考えもあるにはあります。今後、AI の伸展によってますますそういう風潮にもなるでしょう。本書の最後の方にも、そういった流れに対する警鐘が鳴らされていましたので、以下に引用します。

「僕らは、先人たちの研究の積み重ねによって何かができるようになると、「できること」のほうが当たり前になってしまって、それを生み出した「研究の積み重ね」のことを忘れてしまいがちだ。それはそれで仕方がないことかもしれないけれど、それが「研究なんて、全然大切じゃない」とか、「もう勉強は要らない」っていう考え方につながってしまうのは、やっぱりおかしなことだよね。
 それに、「今は当たり前のこと」が、本当は「全然当たり前ではない」と気づくことに、毎日を楽しく豊かに生きるヒントがあるような気もするしね。」 ( 本書 p.169 )


ジョン・ウィンダム『トリフィド時代 食人植物の恐怖』創元SF文庫、2018. ( amazonで見る )

小説は読んでいてもあまりこの読書紹介で取り上げることをしてきていなかったのですが、これは紹介しておこうと思って筆を執りました。

ここ数年、古典の新訳が結構出ていて嬉しく、本作もそのうちの一冊で、パニックモノ、破滅モノの元祖名作ともいえるもの。読む人は全員こう思うことでしょう、何て淡々と進むのか、と。これぞ英国SF。アメリカとは違いますね。裏表紙に書かれている紹介文の煽り感は、あくまで売るためのもので、中の文章の温度感とは随分違います。そそられる良い紹介文であることには間違いありませんが。

「その夜、地球が緑色の大流星群のなかを通過し、だれもが世紀の景観を見上げた。ところが翌朝、流星を見た者は全員が視力を失ってしまう。……(中略)……折も折、植物油採取のために栽培されていたトリフィドという三本足の動く植物が野放しとなり、人間を襲いはじめた! ……(後略)」 ( 本書 裏表紙 )

小説の紹介/感想というのは難しく、とかく、ネタバレになるラインというものを気にしなくてはなりません。古典といえど、最後の最後のオチを匂わすようなことは書けない。ネタバレしますと宣言する書評では別ですが、ここではネタバレしません。

では何を紹介するのか? それはやはり、本作の読後にこの文章を読んだとき、初めて意味が分かるというようなことを、でしょう。すなわち、このタイトル。 THE DAY OF THE TRIFFIDS というフレーズの真意。これが、「ぬぐい消してしまう日」 ( 同 p.402 ) なのか、それともむしろその逆なのか。これについての妄想を膨らませることができるようになるためだけにでも、この本を手に取る価値がある、とご紹介いたしましょう。


吉原史郎『実務でつかむ! ティール組織』大和出版、2018. ( amazonで見る )

ティール組織、ホラクラシー経営について書かれた本なのですが、タイトルにある「実務でつかむ」というには実務感が薄く、全体的に、概念や空論がふわふわしているような印象に終始してしまいました。

それこそ、ティール組織というのをひと言であらわしている「社長や上司が業務を管理するために介入をしなくても、組織の目的実現に向けてメンバーが進むことができるような独自の仕組みや工夫に溢れている組織」 ( 本書 p.14 ) という冒頭の説明によって「つかむ」だけで十分と思えてきてしまいます。

そもそも最初の章でティール組織を説明するにあたって、いわゆる「意識高い系」的な人口に膾炙していないカタカナ語の氾濫が目立ってよく分からないことになっています。提唱者のフレデリック・ラルーが話している語の翻訳を宛てているだけなのかもしれませんが、それでも伝わる日本語に置き換えないと、読者が大切にされていないということになってしまうでしょう。

また、ティール組織は良い、ホラクラシー経営は良い、という絶賛の意思はヒシヒシと伝わってくるのですが、例えば経営破綻になって借金背負って倒産したら誰が責任取るの? とかそのあたりの切実ギリギリのところについて何も語られていないというのが、やや胡散臭さの一因となってしまっています。

普段、オススメの本以外は紹介しないのですが、このティール組織という概念自体は重要なものだと思いますので取り上げています。一度、ティール組織で自身が働いてみないと腑に落ちてこないのかな……


浜中俊哉『訪問看護事業 成功の条件』経営者新書、2018. ( amazonで見る )

訪問看護事業はこの先ますます伸び続けていくだろうということで多くの新会社ができていはするものの、今のところ、看護師マネジメントが甘いせいで潰れていく会社が多いようです。

それというのも、病院勤務上がりの人が経営者になるケースが多く、その場合は得てして一般的な株式会社の「サービス精神」や「コスト感覚」が薄いのが弱味になっているとのこと。著者がたった数年で売上規模を 30 倍にも伸ばしたのは、その基本ともいえるところを、著者自身が一ユーザ時代に辛酸を舐めた経験をもとに、徹底的に突き詰めた結果として必然だったのかもしれません。

訪問看護事業が今後必要になるということの背景知識を得られるのはもちろんのことながら、未経験の領域において新しく会社を立ち上げて成功させていくことの裏に、どんな考えや苦労があるのかということも改めて学べる良著でした。また、合間合間に挟まれる、利用者との交流エピソード(最終的には必ずお亡くなりになる……)は、グッと来るとともに、心胆の強くない自分はこの領野には踏み込みづらいなと思わされました。

2018/10/14

防災グッズの管理にはTrelloがオススメ


三行要約


  • 防災グッズの管理方法について
  • Trello を使って管理してみた公開ボードの例
  • Trello のリスト/カード/ラベルの設定ルールの紹介


前置き

2018 年は何かと災害の多い年ですね。災害に直撃された方へのお見舞いを申し上げるとともに、それ以外のエリアにおいてはそれぞれのおうちで防災グッズを改めて見直し、買い直したり買いましたり、といったことがされたことと思います。

かく云う我が家も同じくで、改めての防災グッズの買い揃えをおこなったのですが、そこでふと、これらの防災バッグの中に入っているものの管理/可視化をどうしよう? と思いました。

自分で言うのも何ですが、私は怠惰です(エンジニアの美徳に従って) 「アレって防災バッグの中に入ってるんだっけ?」「非常食の賞味期限ってまだ大丈夫だっけ?」とか、そう心配になった時に、わざわざ防災バッグを開けて中を確認し直す、などという大仕事をしたくはありません。

一方で、いざという時になって「ゲェーッ! しょ、賞味期限が 3 年も前だァーッ!」などということになるのは、もちろん嫌です。

つまり、怠惰な人間が、防災バッグの中を確認することなく、中身の種類/期限管理をできるようにしたい(期限が近づいたらアラートが飛ぶようにしたい)というのが、要件となります。

そこで、そう、みんな大好き ToDo 管理の神ツール、 Trello さんの出番というわけですよ。まあもはや Trello についての説明は不要ですね。 Trello ってなんぞや、という方はまず Google で。

Trello には、ボードを公開する機能も備わっていますから、そんなわけでまずは公開ボードとして例をお見せしたいと思います。


公開: Trello ボードの例


上記キャプチャのような感じになっています。もう少し詳しくご覧になりたい方は、以下リンクより飛んでご確認ください。

▶ Trello - 公開ボード:防災グッズ管理サンプル

ちなみに、あくまでサンプルです。「簡易トイレあった方がいいよ!」とか「医薬品ねーじゃねーか!」とか思われるかもしれませんが、実際の管理ボードではあるので大丈夫です。


ボードの解説

解説というほど大仰なことは不要と思いましたが、簡単に。

リストの分け方


まず、リストは以下のように分けます。

  • 防災バッグ: バッグの個数分だけリストを作る
  • 防災バッグ外: バッグに入りきらないもの
  • 購入予定: これから買い足したい/足さねばならないもの
つまり、最少で 3 つのリストから成り立ちます。


購入予定リストを入れておくのも必須と考えています。買い物に出かけていたとき、ネットの記事や雑誌などを見ていたとき、ふとしたときに、「あっ、あれ買わないと」と思ってすぐにリストに追加できる状況を作っておくというのが、重要です。そして、この購入予定リストにいつまで経ってもカードが入っているままというのは、大変よくありませんので、常にここはカラになっているよう意識しましょう。

カードの作り方


カードの作り方は、 Trello の使い方の肝となるところですね。色々なやり方/考え方があると思いますので、一例としてご参考まで。

まず、物理的単位として一つと見なせるものは、一つのカードにします。つまり例えば、レトルトカレーのパウチが 1 つあったら、 1 カードとします。缶ジュースが 1 缶あったら、 1 カードとします。

レトルトカレーが一つの箱としてまとまっていて、その箱の中にパウチが 5 つあったとしたら、それは箱から出してしまって(嵩張るし)パウチ 5 つとして 5 カードとします。

これについては考え方が色々と思います。例えば、「一食分」としてまとめたものを一枚のカードにするという考え方。これであれば、中のチェックリストで、一食分として何が含まれているかを管理することになります。が、この難点としては、次に挙げる期限問題のアラート管理が難しくなります。つまり、リスト内に含まれるいずれの期限を設定するのかという問題。まあ、最短のものが設定されるとは思うのですが。私はとかく疎結合を愛するので、バラバラにしておくことにしました。何を組み合わせて食べたいかなど、その時の気分にもよるでしょうし。

食糧/飲料/薬品など、賞味/消費期限必須なものには、期限をつけます。そうすることでアラートが飛んでくれるようになります。賞味期限当日にアラートが飛んでこられても困る、という場合には、余裕をもって一定の日数を差し引いた日付を設定しておくと良いのではないでしょうか。

サンプルのボードでは、縦幅とられてしまうため写真を付けることはしていませんが、「これ何だっけ??」となりそうな場合には、写真を撮って画像を添付しておくと良いでしょう。

ラベル


ラベルは見やすくなればいいんじゃないかなくらいの使い方がオススメです。あんまり細かくラベル管理しようとしても、怠惰な人間からすると面倒になって仕方ありません。

ここでは、食糧/飲料など、期限が設定されているものだけ、そして十分量が含まれているか一見して分かりやすくなっていて欲しいものだけ、設定するようにしています。


以上

以上、 Trello を用いた防災グッズ管理方法の一例でした。

防災グッズというのは、「買い揃えないと!」と思った時の高い熱量を維持したままに、保守管理を続けること困難なものです。少しでも、「どうしたもんかなー」と思っている方のお役に立てばと思います。

また、「もっと良い方法あるぜ!」という方がいらしたら、ぜひ、コメントや Twitter などで教えてください。どこまでも怠惰に管理でき、災害発生時に少しでも快適に過ごせる方法を追求しましょう。

今週の読書紹介(2018/10/08~2018/10/14)『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』『カント批判』『学びを結果に変えるアウトプット大全』


突如として暑くなったり寒くなったりな今週(2018/10/08~2018/10/14)からは次の 3 冊を紹介。


日野田直彦『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』IBCパブリッシング、2018. ( amazonで見る )

最近ちょっとタイトル煽り詐欺みたいな本が続いていたので少し警戒したのですが、これは本当にしっかり答えてくれていました。要するに、超優秀なマネージャ(筆者自身はそうは称していないわけですが)が入ると、組織の変革はこのように起きるものなのか、というとてもすぐれた実例です。しかもこれ、結果を出したのがわずか 3 ~ 4 年というのが脅威です。分野が違えど同じ「教育」に携わる業界に勤めている身としては、このままじゃいけない、と強く危機感を覚えさせられました。

ただの偏差値 50 の公立高校において、いかに、教員・生徒それぞれを巻き込んでいって、自身から自発的に動き出していくようになるマインドセットをするか、というのが、本書で最も重要なポイントとして語られます。これは学校という空間においてのみならず、会社組織はもちろん日本社会全体に言えることでしょうと著者は熱く訴え続けていきます。

そう、本書は、教育方法のメソッド本ではない。実に優れたマネジメントの本なのです。全マネージャ必読、といってもよいかもしれません。「人が人を教えるなど烏滸がましい」という意見を、あるいは、「うちには優秀な人材がいないから」という意見を少しでも持っているタイプの人ほど、本書を手に取ると目が開かれるかもしれません。

本書全編を通じて、頷く回数がとても多く、既に自分の中に考えとしては持っていることばかりだったので、彼と自分とで何が違うのだろうと考えた時には、やはり、実行力なのだろうなと思いました。やりたいことのフィールドが違うからというのはあるわけですが、所属している組織の改革という点においてはまだまだ打ち込める余地が沢山あるので、もう少し力を注いでいけたらと思い直させられました。

最後に、マネージャの神髄を語っている箇所を引用します。

「私は「まず、先生が幸せにならないと」と考えています。そして、先生が幸せになって生徒も幸せにならないとダメだ、と思っています。
 この考え方を支える源は何かと聞かれると、マネージャーが責任をとることだと答えます。それが私の原動力なのです。アメリカでもオーストラリアでも、良いマネージャーとはそういう貢献者です。それこそ本当に能力のある部長であれば、毎月のようにピザパーティーをやっています。「俺のおごりだ、いくぞ!」という感じです。要は、みんなが幸せに仕事ができる空間づくりをしている人なのです。リーダーとして自分がされたように良い職場環境を作り、家族のためにセットアップをする。それがよいマネージャーだと思います。チームのために貢献できるマネージャーであるか、自分のために組織を利用しようとする人になるか。この違いと分かれ目は、世界共通なのです。」 ( 本書 pp.73-74 )


「マネージャーたる「校長」の仕事は、その仕事の意味と価値、そして時間を勘案して、教職員が与えられた時間とお金でその業務を法律内で実施できるか、などを判断することが責務です。これは会社でも同じく、ブラック企業の責任は全てマネージャーにある、と厳しく認識する必要があります。改めて、「それはそもそも本当に必要なのか?」「その仕事をする理由と根拠を今のメンバーが説明できるのか?」「本当はいらないのではないか?」を問う必要があると思います。」 ( 同 p.79)

「校長の役割は、マネージメントです。例えば、「もっと利益を考えろ」「失敗するな」「効率を上げろ」と現場で言い続ける、いわゆる管理型のマネージャーがいます。私の場合は基本的に、利益は必ず上げますが、それは現場ではなく、こちらが考えることだと思っています。要するに、利益が上がるかどうかは、マネージメント側が考えることなのです。
 マネージャーとは、ミッションベースと、社会のマーケットベースで物事を判断し、それをどうやって合わせるのかを考える仕事です。そして現場の人たちはというと、いま自分たちができる最大のポテンシャルを発揮してもらうだけでいいのです。」 ( 同 pp.199-200 )

「「戦力が足りないから改革ができない」、「メンバーがダメだから無理」、「社員がしょぼいから無理」、「お金がないから無理」というのは全てマネジメントサイドに力がないだけです。現在、与えられた戦力で最大限の効果とアウトカムを出すことこそが、マネージャーの責務です。できないのは自分の責任です。」 ( 同 p.200 )

以上、長くなりましたが、重々心に留めておきます。


冨田恭彦『カント批判』勁草書房、2018. ( amazonで見る )

『ローティ論集』に続いて、冨田さん精力的ですね!

カントが無自覚にあるいは意図的に書き残した論理的誤謬をこれでもかという程に指摘されています。カントはほんとこの 200 年もの間、色んな人から批判されていますね。それだけ偉大な仕事をしたというか、尊大な企てをしたというか。

私も、著者と同じく「カントの例えば「人を同時に目的として扱え」という主張は、人間の歴史的知恵を代弁したものとして、心からそれに賛同する。しかし、「ねばならない」や「必然的」や「明証必然性」を連発して人間を縛ろうとする彼の嗜好に、私は心から反対する」 ( 本書 p.169 ) 立場であり、カントの同時代人でいえばハーマン、ヘルダーの方に与するし、また著者と同じくロックの方に哲学的な深みと誠実さをより感じるので、本書で反駁されている内容については、全面的に素直に読んでしまうのですが、一方で単純な興味としてガチでカント寄りな側からの反論を読んでみたいと思わされました。

遅ればせながら章立ては以下の通りです。

  • 「独断のまどろみ」からの不可解な「覚醒」
  • ロックの反生得説とカントの胚芽生得説
  • カントはロックとヒュームを超えられたのか?
  • そもそも「演繹」は必要だったのか?
  • 判断とカテゴリーの恣意的な扱い
  • 空間の観念化とその代償
色々要約しすぎるくらいにすると、「カントが影響受けたと言ってるヒュームはきっとカントの誤読」「ロックを誤読して過小評価しすぎ」「ロック以上のことを結局言えてないというか、モリニュー問題を無視するなど科学的姿勢としてはイギリス哲学と比較して退化しているのでは」「当時のパラダイムに拠って立っているのにそのことを自覚せずに/あるいは無視してアプリオリなものを独断で措定している」「十分な釈明もないままに伝統的論理学からの逸脱をしながらも伝統に沿っていると主張し、証明がされないままに論理展開が続けられている」などなど。

この要約を見て、「え、え、どういうことどういうこと?」と気になった方は、決して易しい本ではないのですが、ぜひ手に取ってみてください。


樺沢紫苑『学びを結果に変えるアウトプット大全』サンクチュアリ出版、2018. ( amazonで見る )

学ぶというプロセスにおいていかにアウトプットが大事かということを、様々な科学的論拠に基づいて切々と訴えかけてくる一冊。

社会人はもちろんのことながら、小中学生くらいの層にこそむしろ読んでおいて欲しいように思いました。普段の学校での授業における「板書コピーノート写し」や「単純講義型」の効率の悪さたるや。受験勉強に至るまでに、ひたすら問題を解くという学び方を会得できないと、青春時代という貴重な時間を大変無駄にすることでしょう。そして学生時代のうちにこの基本を押さえられるようになっておけば、社会人になってからの労苦も減るというものです。

とはいえ著者曰く四十歳を超えてからでも全く遅くはないので、アウトプットが足りていないのでは、という自覚が少しでもある場合には、手に取って読んでみて、そしてこの本に対する感想をまずアウトプットしてみると良いのではないでしょうか。

ちなみに二点ばかり疑問を呈しておきます。アウトプットの重要性について大々的に説いたのは自分が初めてといった主旨のことが書かれているのですが、この 20 年程度の間にすら野口悠紀雄だったり齊籐孝だったりもいるし、ちょっと首を傾げました。それから、ハーバード大の研究によると~、というように権威有るところからの引用をつけると説得力が増すというような話も、NASA で開発くらいの胡散臭さしかないので、権威の有る無しでなく注釈で引用数を紹介する程度の傍証で良いように思いました。引用数の価値を一般の読者が分からないと考えるのは、著者か編集者かの怠惰で、あわせて注釈で紹介すれば良いでしょう。ただ、アウトプットに困っている人にとっては、そんな苦言が霞むくらいには、本書の価値は高いと思います。

2018/10/07

今週の読書紹介(2018/10/01~2018/10/07)『ローティ論集』『虫から死亡推定時刻はわかるのか?』『なぜ上手い写真が撮れないのか』『なにもできない夫が、妻を亡くしたら』


台風来すぎ!! な今週(2018/10/01~2018/10/07)からは次の 4 冊を紹介。


リチャード・ローティ、冨田恭彦編訳『ローティ論集 「紫の言葉たち」 今問われるアメリカの知性』勁草書房、2018. ( amazonで見る )

「プラグマティズムの核心をなすのは、真理の対応説と、真なる信念は実在の正確な表象であるという考えを受け入れるのを、拒否することである。」 ( 本書 p.170 )

そして自身をプラグマティストと称するローティと直接の交流もあった冨田恭彦さんが、 1991 ~ 2007 年までの間に発表されたいくつかの論文・書評・自伝から、日本語に編訳された、しかも、大量の訳註と解題つきという、大変貴重な一冊です。

収められているものは以下の通り。
  • 「ヴィトゲンシュタイン・ハイデッガー・言語の物象化」 ( 1989 )
  • 「合理性と文化的差異」 ( 1991 )
  • 「亡霊が知識人に取り憑いている――デリダのマルクス論」 ( 1995 )
  • 「分析哲学と会話哲学」 ( 2003 )
  • 「反聖職権主義と無神論」 ( 2003 )
  • 「プラグマティズムとロマン主義」 ( 2007 )
  • 「知的自伝」 ( 2007 )
これらのタイトルを見ているわけで垂涎ものですよね。ですよね? ではない?

ローティが、いかに彼の言うところの「精神史」を頭の中にインデックスとして持った上で、言葉を紡いでいるか、ということが、ありありと伝わってきます。しばしば彼を安易に批判する人が「浅い」「哲学ではない」と切って捨てますが、さざ波のような水面の下にどれだけの知的奔流が圧倒的な深さとともに渦巻いていることか。

全編読み通すのに前提知識として持っておいた方がより楽しめるだろうというのが、ローティも「世紀の最も重要な三人の哲学者としてデューイとヴィトゲンシュタインとハイデッガーを挙げた」 ( 同 p.226 ) ように、彼ら三者、とりわけ後期ヴィトゲンシュタインについてです。『探求』もしくは『青色本』を事前に読んでおくのをオススメします。デューイであれば、『学校と社会』あたりを。ハイデッガーについては特にいいかな……

細かく語り始めるとこの一冊分だけで一本以上の記事になってしまうこと必至なので、色々割愛します。

一点。ヘルダーを研究していた私から見ると、ローティはものすごくヘルダーと親和性が高いはずなのですが、ローティがヘルダーについて語っているというのを寡聞にして知らず。本論集の中で言及されているのも、やはりたったの一箇所のみで、ヘーゲルに歴史主義の影響を与えた、というくだりのみ。また、訳註によれば、ヘルダーがまだ若かりし頃に編纂した『批評の森』が参照されているらしく、前期ヘルダーは中期以後のヘルダー自身によって色々と乗り越えられているしヘーゲルに与えたという影響も『異説』や『イデーン』止まりなんじゃないかなーとかいかんヘルダーについて語り出してしまっている……

最後にもう一度ローティに戻って、「知的自伝」から以下を引用して終えます。

「私は 「 絶対的なものは存在するか 」 という問いの余韻すら残っていない時代が来てほしいと思う。その問いを問うことは己の有限性を受け入れる能力がないことをさらけ出しているのであって、いつか人間はもはや自分たちの存在の歴史性と偶然性から逃れようとはしないであろうと思いたいものである。」 ( 同 p.232 )


どこまでも力強いローティの「紫の言葉たち」です。



三枝聖『虫から死亡推定時刻はわかるのか? 法昆虫学の話』築地書館、2018. ( amazonで見る )

タイトルへの回答は、一概に分かるとは言えません、ということだそうです。

しかしそもそも法昆虫学とは何でしょう? 聞き覚えのない学問ですね。著者曰く、「法昆虫学者を標榜する人間が研究している分野であり、他者からみると何をしているのかよくわからない3K(くさい・きらい・きもちわるい)分野」( 本書 p.16 ) とのこと。……という少しユーモアセンスのある著者ですが、分かりやすく改めて引用すると、「ヒト死体を蚕食している昆虫を証拠として分析し、死後経過時間を推定する」 ( 同 pp.15-16 ) ことが主要な目的の一つという実践学問のようです。仕事内容を少し想像してみましょう。はい、すぐに記憶から消し去りたくなるような光景が浮かんできましたね。まさにその光景が具体的な描写でもってありありと語られます。

まずもって、目次に並ぶ小項目の文字列がまたトンデモないです。「死体を食べているウジから推定できること」「死体に入植するウジたち」「飛び跳ねるウジ」「ウジのいない死体」「損傷死体とニクバエの幼虫」といった具合に、ウジハエウジハエウジウジウジ、という単語がもちろん本文中にも飛び交います。蠅だけに。この紹介文で、ウエッ、となるような気の小さな方は本書を手に取るのは控えた方がよろしいでしょう。イケるイケる、という方でしたら、めくるめく新鮮な世界、ぜひ垣間見てみてください。大変フレッシュな印象を受けるでしょう。死体だけに。ただ、食事中にはページをめくらないことをオススメします。

さて最後に、法昆虫学という、この 21 世紀においてまだまだまだまだ未開の学問を、一人険しいウジの山々を徒手空拳で進んでいく著者から、凄まじく説得力のある言葉を賜ったので、ご紹介したいと思います。まさに、「何を言うか」以上に「誰が言うか」という話です。

「どのような分野・仕事でも、「華やかな世界」はごくまれな例であったり、一部の側面にすぎない。そのことを正しく認識し、「地味で目立たないことであっても、なお続けたい」という覚悟や情熱が必要である。」 ( 同 p.46 )



丹野清志『なぜ上手い写真が撮れないのか スランプを突破する最善の方法』玄光社、2018. ( amazonで見る )

タイトルがかなりストレートに煽ってくるわりに、中身は直接的な方法論が書かれているわけでなく、「考え方で写真が劇的に変わる」という帯の通りに、ほとんどが精神論的な内容になっています。全編白黒の本で、具体的な写真が掲載されていたりするものでもありません。

一応、こうしたらよいよ、というのは、あとがきに簡潔にまとまっているのですが……

既に写真をかなり撮ってきていて、コンクールなどにも出していたりするような人、つまり、写真に対して本気度が高ければ高いほど、読む対象としてはオススメの人なのではないかと感じました。そうでなく、普通にスマフォで撮ってるくらいのライト層にとっては、「へえ、そういうもんかー」という受け取り以上にはなかなか得られるものがないはずです。

刺さる人には、間違いなく刺さるのだろうなとは思います。いずれにしても心構えとしては、「写真は楽しくね」ということで!


野村克也『なにもできない夫が、妻を亡くしたら』PHP新書、2018. ( amazonで見る )

野村克也が、野村沙知代をいかに愛していたか、ということはすごくよく伝わってきました。亡くした妻への壮大なラブレター、というのが、本書最大の特徴なのではないかという印象です。出会いから別れまで、悲痛さをそれほど感じさせない語り口で、それでいながら若干の虚無感を覚えさせるような、一種独特で不思議な雰囲気に満ちています。生前の野村沙知代については、学歴詐称だのミッチーサッチー騒動だのというのがあって、若かりし頃に甚だ目障りな印象だったのですが、大変に「強い」人だったのだということがすごく伝わってきました。

ただ、著者のせいではなくて編集者のせいだと思うのですが、このタイトル、「なにもできない夫が、妻を亡くしたら」そしてその横に書いてある「ひとりになる前にしておくべきこと」という煽り文への回答は、特に本書内には無かったように思われます。死ぬまで働け、とか、趣味や生きがいを持っておけ、とかいうのが、そうなのでしょうか。だとしたら、うーん……?? 本文ができあがってからタイトルつけたりするものでしょうから、明らかに編集者側のミスだろうなと感じさせられました。こういうのはしばしば多くて、辟易とします。